大阪高等裁判所 平成9年(く)173号 決定 1997年11月10日
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、付添人弁護士岩城穣作成の抗告申立書(なお、抗告申立書には作成名義人として「付添人弁護士板垣善雄」ほか二名も連記されているが、同弁護士らは抗告申立時点では付添人ではなく、余事記載と認める。)、付添人弁護士岩城穣、同福本康孝、同小久保哲郎連名作成の抗告理由補充書及び同補充書2に記載されたとおりであるから、これを引用する。
所論は、要するに、原決定が認定した非行事実は、いずれも少年(以下、「A」ということがある。)らには身に覚えがないものであり、原決定には重大な事実の誤認がある、というのである。
そこで、記録を調査して検討するに、関係各証拠によれば、原決定が認定した非行事実はいずれも優に認定することができ、原決定が(事実認定の補足説明)で詳細に説示するところは、当裁判所もおおむね正当として是認できるから、原決定には所論指摘のような事実誤認は認められない。当審において付添人から提出された資料を踏まえても、右判断は左右されない。以下、所論にかんがみ説明を付加する。
一 本件は、当時Q中学校の三年生であったF、G、H、Iの四名が、自転車に乗って塾から帰宅する際に、原決定の日時に、原決定の路上で、原動機付自転車二台に乗った一六、七歳くらいの男性五人組に呼び止められ、それぞれが相手側の各一名から脅迫されて金を要求され、Fは所持金がなく未遂に終わったが、他の三名はいずれも原決定のとおりの金員を脅し取られた、という恐喝、同未遂の事案であり、Fらがかかる被害にあったことは、関係証拠から明らかであり、争いがない事実である。
そして、被害者らは、捜査段階で、写真面割り及び面通しを通じて、自分を脅した相手として、FはAを、GはBを、HはCを、IはDをそれぞれ特定しており、原審判においても、この点を明確に証言していて、いささかの動揺も見せていない。被害者らはいずれも、少年らとこれまで何か関係があったわけではなく、ことさら嘘をついてまで少年らを犯人に仕立て上げるような立場にはないし、少年らと住まいが遠くないことからして、後難を考えれば無責任な供述などできない立場にあるともいえる。また、本件現場は、夜間とはいえ、街路灯がある交差点であり、面と向かった相手方の顔がはっきり見えないような暗さではなく、犯人識別にさして困難さはない。したがって、被害者らの犯人特定に関する各供述は信用性があるといえる。
所論は、GとFは当初写真面割りで犯人を特定できなかった経緯があり、また、Hは、当初写真面割り等でAを特定しながら、後に、Fの供述に影響されてか、Cに切り替えているなど、不自然な変遷を見せており、いずれも被害者らの犯人特定に至る供述には問題があって信用できない、したがって、被害者らの犯人識別供述が信用できるとする原決定は誤りである、と主張する。
被害者らが犯人特定に至る経過は、原決定が詳細に認定しているとおりであって、確かに所論が指摘するような点がいくつか認められ、被害者らの写真面割り等による犯人特定には疑問を呈する余地がないではない。しかし、被害者らにしても、警察での犯人特定のための写真面割りは初めての経験であり、中学三年生という年齢をも併せ考えると、いざ面割りをするに際し、慎重な姿勢になったり、あるいは逆に、それほど重大なことと考えずによく似た人物を指摘すればよいと安易な気持ちで臨んだりしたとしても不思議ではない。関係証拠によると、G及びFについては、当初面割りできなかったときと後に面割りできたときとでは、示された写真台帳にあったB及びAの写真は同じものではないことが認められるのであって、写真の容貌が異なっていたため絶対的な自信が持てず、特定に至らなかったということも十分考えられることであり、当初特定できなかったからといってとりたてて不自然とまではいえず、後に特定したことまでおよそ信用できないということにはならない。また、Hについては、確かに、自分の直接の相手の犯人が誰かという点で供述に変遷があり、供述の信用性に当たっては慎重な吟味が必要であるといわざるを得ないところである。しかし、Hの検察官に対する供述や原審判での証言をみると、同人は、所論のような見方もできないわけではないが、原決定が述べるように一応それなりの説明はしている。そして、関係証拠によると、Hは、最初の写真面割りにおいて、未だ捜査線上に浮かんでいなかったAを特定したものであるが、その際の写真台帳には後に特定するに至ったCの写真はなかったのであって、Cを特定することは不可能であること、AはCと一緒にいたため、Hとしては、CのほかにAの顔も見ていた可能性は強く、このため、直接の相手であるかの区別を意識しないまま、つい犯人としてAを特定したということも十分考えられること、二度目の写真面割り(Cの写真も含まれている。)及び面通しでもなおAを特定したのは、最初の特定の影響がまだ残っていたからであるとも考えられることなどにかんがみると、Hが犯人としてCではなくAを当初特定したこともまた、全く不自然であるとまではいえない。Hの説明するところは、その巧拙はともかく、これと同様のことを言わんとしたものと解し得るのであって、後にCを特定した供述がおよそ信用できないなどということにはならない。したがって、写真面割り等に関する所論は採用することができない。
しかも、Gにあっては、関係証拠によると、本件の翌日、学校で級友のJと事件の話をしている際に、犯人が先輩のNに似ていると言ったところ、昼に同じような被害にあったJから、「それならB′の弟(Bのこと)や。」と教えられ、警察に本件被害を届けに行ったことが認められ、Bの名前が最初から出ていた点は注目されるところである。
ところで、少年らは、いずれも本件非行への関与を否認している。しかし、関係証拠によると、少年らは、本件現場と同じ平野区内もしくはその近くに住み、バイクに乗ったりしてよく一緒に行動する不良グループであることが認められ、少年らは、本件当日もしくはその前後の日ころの夜、A、B、D、C、Eの五人でAの兄のバイクとCのバイクの二台に分乗(三人乗りと二人乗り)して平野区内を走行(少年らの言葉では「原ブラ」という。)したこと、しかも、その際は、BとDが、二人とも坊主頭であったため、(野球帽ではない)帽子をかぶっていたことをいずれも自認している。そして、被害者らは、本件犯人の五人は、バイク二台に分乗し、三人乗りと二人乗りであった、うち二人は帽子をかぶっていた、と供述しているのである。さらに、バイクに乗っていたメンバーの組み合わせについても、被害者らの供述と少年らの供述とはほぼ符合している。
以上の諸点に照らして考えてみるに、まず、被害者らが目撃した本件犯人グループの特徴と少年らグループの特徴とを対比してみると、少年らが五人でバイク二台に分乗(三人乗りと二人乗り)して平野区内を原ブラしたことと本件とは無関係であるとは考え難く、少年らと同じような出で立ちの別の五人組がバイク二台に分乗して本件当時に本件現場に現れて本件犯行を行ったというのは、余りにも偶然がすぎるというべきであり、少年らが本件の犯人グループであると一応推認することができる。そして、少年らを個々に犯人と特定する被害者らの供述のほか、Aは、逮捕後しばらくは、本件非行を大筋で認める供述をしており、また、一緒に行動していたとされるEも、捜査段階で同様の供述をしており、さらに、Aの母親であるMが、一一月一三日の午前零時ころ、家の窓から外をのぞいてみると、斜め前のガレージのところで、AがB、D、C、Eと一緒にいて何かしゃべっていた旨、捜査官に対し供述していることをも併せかんがみると、少年らが本件の犯人であることは優に認められるというべきである。
二 所論は、(1)原決定は、被害者らの供述する犯人の容貌の特徴と各少年のそれとは整合性があるとするが、到底整合性があるなどとはいえない。(2) 原決定は、G、Hが供述する犯人らの原付の特徴は少年らの原付と一応整合性があるとするが、そのようなことはないなどと指摘して、被害者らの供述には信用性がない、と主張する。
そこで、まず、(1)についてみるに、確かに、所論がるる指摘するように、被害者らの供述する犯人の容貌の特徴と少年らの供述する仲間のそれとには、一致しない部分がないではない。しかし、ほんの短時間(せいぜい二、三分)の、しかも予期しない出来事であるだけに、犯人の容貌について逐一符合する供述を期待する方が無理であり、原決定が指摘する程度の整合性さえあれば、被害者らの供述の信用性につき格別問題はないというべきである。また、(2)については、原決定が説示するとおりである。その他、所論がるる指摘する点を検討してみても、Gらの犯人特定に関する供述の信用性の判断を左右するものはない。
なお、所論は、GからBを犯人とする被害届を受けた警察において、当初の誤った見込みとB送致立件への思いがあって、被害者らの面割り等に際しても、この点が色濃く影響しているかのように指摘するが、警察側にそのような事情があったというのは単なる臆測にすぎず、むしろ、前示のとおり、Gが行った写真面割りにおいて、同人が当初Bを特定できないまま終わっていることに照らしてみても、警察がことさら被害者らを誘導等して犯人の特定をさせたようなことはないというべきであり、被害者らの面割り等のやり方に所論指摘のような問題はうかがわれない。
したがって、所論は採用することができない。
三 所論は、原決定は、Eの捜査段階での供述について、補充捜査の結果をも踏まえてその信用性を認め、本件非行事実の認定の重要な資料としているが、Eの右供述は、同人の証言から明らかなように、捜査側の脅しと誘導によるものであり、到底信用できるものではない。しかるに、原決定はこの点を無視している、と主張する。
Eの供述経過は原決定が説示するとおりであり、確かに、Eは、原審判において証人として捜査段階での供述を後退させ、覚えていないのに警察に言われるまま供述したなどと、所論に沿う証言をしている。また、Eの捜査段階での供述は、シンナーの吸引目的での所持の非行で少年院送致された後でのものであり、その信用性の判断に当たっては、警察への迎合等の危険性がないか慎重に吟味することが求められるところでもある。しかし、Eの証言は、質問に対し肝心なところは覚えていないという答えが多く、その理由としてシンナーを吸っていたからだといい加減な説明をしていることを考えると、真摯な証言態度とはいい難いこと、否認しているAとBの面前での供述であり、それまでの両名との関係を考えれば、ありのままを述べるにははばかられる場面といえることなどに照らすと、Eが後退した証言をしたことを所論のように過大評価し、それを前提にEの捜査段階での供述の信用性が完全に弾劾されたなどと論じることは相当でないというべきである。むしろ、Eは、右のように後退した証言をする一方で、日にちの特定こそしないものの、少年ら五人で恐喝をしたことがあることを、捜査官に対する供述に引き続いてなお認める証言をしていることに着目するべきであり、Eの捜査段階での供述は、原決定が触れ、また所論が指摘する補充捜査の結果を考慮するまでもなく、基本的には信用できるというべきであって、これと結論において同旨の原決定は相当である(なお、付添人提出のEの陳述書はにわかに措信し難い。)。
したがって、この点に関する所論は採用できない。
四 所論は、原決定は、Aの捜査段階における当初の自白についてその信用性を肯定しているが、右自白は、警察官による威圧的かつ強引な取調べに基づくものであり、少年の防御力の弱さを考えれば、任意性に疑念があり、また、供述の具体性は、警察官らの誘導、教示によるものであったり、実際五人で一緒に行動したときの記憶を述べたにすぎないのであって、自白の信用性を認めることにつながらない、などと指摘して、右自白は信用できない旨るる主張する。
Aの供述経過は、原決定が説示するとおりであるところ、Aは、逮捕直後の弁解録取においては、覚えていないとの供述をしているものの、同日の取調べから本件恐喝の事実を大筋で認め、共犯者としてB、E、Dの名前を出し、その後の調べでCの名前も出していること、その結果、被害者らからも、その後、B、D、Cがそれぞれ犯人として特定されるに至っていること、当時の状況について述べる内容は、詳細かつ具体的であり、被害者らの供述ともほぼ符合すること、検察官の取調べから否認に転じているが、これには、前日の面接の機会に、母親からBが否認していると聞いたことがきっかけになっていることが認められることなどに照らすと、Aの自白は基本的には信用でき、その後の否認供述は信用できないということができる。確かに、Aは、原審判において、自白したことに関し所論に沿う供述をする(付添人提出のAの陳述書でも同様の記載がある。)が、前記供述の経過、自白内容等にかんがみてにわかには措信し難いというべきである。
したがって、所論は採用することができない。
五 所論は、Cのアリバイは認められるのに、原決定は、関係者の証言の信用性を評価することさえしないで、Cのアリバイ主張を簡単に排斥している、と主張する。
原決定がCのアリバイについて簡単な説示のみで排斥していることは所論のとおりである。そこで、右アリバイについてみてみるに、Cのアリバイ供述は、要するに、Cが、交際中の女性のOから妹への誕生日のプレゼントを受け取り、それを渡すために、本件があった時刻ころ、当時別居していた母親宅に行っていた、というものであるところ、このような供述をするようになったのは、妹が面会の際に一二日の午後一〇時過ぎにプレゼントを持って家に来た旨聞いたことをきっかけとするものであり、その供述の時期、出方やC自身の供述内容等に照らすと、それ自体直ちに信用してよいかには疑問がある。確かに、Cの母親K、妹LやOら関係者が、Cのアリバイを裏付けるかのごとき証言をしているが、Cとの関係を考えると、いずれもその証言内容を全面的にそのまま信用してよいかは疑問といわざるを得ないこと、Lの手帳には、一一月一二日の欄に「あやちゃんプレゼント」、「夜好祐」との記載があるが、これも同様の理由からして決め手にはならないし、かえって一三日がLの誕生日であることやOの手帳では一三日の欄にプレンゼント云々の記載があること(ただし、Oは、これは一二日の欄に書ききれなくて翌日の欄に記載したものであると証言している。)を考えると、作為性を完全には否定できないことが指摘できるのであって、右アリバイが証明されたとはいい難い。原決定の判示の仕方の当否は別として、同旨の結論は相当である。
したがって、Cのアリバイに関する所論は採用することができない。
六 所論は、(1)原決定は、A、B、Dの弁解について、いずれも信用性がないとするが、AとBとは、身柄を釈放された後、家族らと話し合うなどする中で記憶を喚起した結果、本件当日やその翌日の行動を供述し、また、Dは、記憶に残っていた就職活動としての面接をもとに記憶をよみがえらせて本件当日の行動を供述しているのであり、その経緯は自然であり、かつ、一部には客観的な裏付けもあるのであって、その供述の信用性は高いというべきである、(2)原決定は、Aの母親Mの警察での供述を訂正した証言も信用できないとするが、これまた少年らの話を聞いて記憶を整理した結果であり、信用できないことはない、と主張する。
少年らの供述を捜査段階から原審判に至るまでその経過をみていくと、それぞれに変遷があり、しかも、A、B、Cにおいては、五人(もしくはCの友達らを含め)で原ブラしたのは一一月一三日であるというように、最終的に供述が変わっていっており(Mまでも、五人が外で集まっていたのを目撃したのは一二日の夜ではなく一三日の夜であると、警察での供述を訂正する証言をしている。)、そこには、五人での行動をした日時という点について関係者らが意識的に供述を合わせようとしたのではないかとの疑いすら感じられないではない。また、少年らの供述は、捜査段階でのものはもとより、原審判でのものでも、相互に不一致なところがみられる。確かに、関係証拠によれば、AとDが一三日夜田村組に就職のための面接に行ったことなどが事実であることは認められるが、そうであるからといって、五人での原ブラはその日のことであり、本件当日にはやっていないとする少年らの弁解がすべて信用できるものでない。少年らが虚実取り混ぜて供述していることも考えられるし、また、仮に一三日に五人で原ブラした事実があったにせよ、少年らの当時の行動傾向からして、その前日である本件当日も同様に五人で原ブラをしていた可能性は十分あり得るのである。Aらの弁解の信用性を否定した原決定の結論には誤りはない。
したがって、所論は採用することができない。
七 その他所論が述べるところを逐一検討してみても、前記判断を左右するものはない。
以上の次第であるから、事実誤認をいう論旨は理由がない。
なお、抗告理由補充書によると、付添人らは、「原審裁判官は、Eの証人尋問の直後に、警察と担当副検事に対しEの取調べ状況に関する補充捜査の依頼をしているが、これは非行事実の存在を認定する方向での探索的な捜査依頼であって、裁判所の公正さを疑わせる上、右依頼をすることもその回答があったことも、付添人には何の連絡もなく、付添人に検討、反論の機会を奪うものであり、しかも決定においてそれを非行事実認定の資料として重視していることがうかがわれるのであって、このようなやり方は少年らの防禦権を著しく侵害するものであり、家庭裁判所の合理的き束裁量を逸脱していることは明らかであるから、原審の審判手続には憲法三一条及び少年法一条に違反する重大な違法がある。」との主張をしているが、これは、右補充書で初めて主張したものであって、抗告期間を徒過した後の主張であるから、適法な抗告理由とは認められない(付添人らは、同補充書で、右の事実は原決定書を見て初めて知ったものであるところ、同決定書は原決定後相当期間が経過した時期に受け取っており、抗告期間内に右主張を取り上げることは無理であり、やむを得ない事由があるかのように弁明するが、当裁判所での調査によると、原審の付添人に原決定書謄本が交付されたのは抗告期間満了の七日前であり、現に抗告申立書の理由の中で、補充捜査依頼回答書に触れてE供述(自白)の信用性を論難しており、付添人らが抗告期間内に右主張をすることが全くできなかったわけではないから、右弁明は採用の限りでない。)。ただ、事柄の重要性にかんがみ、この点につき付言しておく。記録及び当裁判所での調査によると、所論が指摘するように、原審では、第二回審判(一月二九日)においてEの証人尋問を行った後、同人の取調べ状況等についての報告をするよう、警察及び担当検察官に対し援助(補充捜査)依頼をしており、その回答結果をも踏まえて、原決定において、Eの捜査段階での供述の信用性を判断していること、しかも、付添人に対し、右の援助依頼をした事実もその回答の内容についても一切知らせていなかったことが認められる。審判の公正さからして原審のこのようなやり方には相当問題があることは否定できない。しかし、指摘の回答結果がなくとも本件非行事実が十分認められる(Eの捜査段階での供述の信用性についても同様である。)ことは前示のとおりであることにかんがみると、これをもって原審の審判手続に違法があるとまではいえない。
よって、本件抗告は理由がないから、少年法三三条一項、少年審判規則五〇条により主文のとおり決定する。